豪商 田中本家 宴席の再現
田中本家は、須坂藩の殿様、家者、学者など藩政に関わる様々な客人をもてなす役目も果たしていました。
こちらでは、田中本家に伝わる陶磁器、漆器、諸道具を使い、当時の宴席を再現しました。
上座から上客、次客と続きます。当時は、身分によって器にも差があり、上客の漆器は金で縁取られた上等なものが使われています。
豪商 田中本家 創業と商い
享保18年(1733)、初代新八はこの土地で穀物、菜種油、煙草、綿花、酒造業などの商いを始めました。
代々の当主は、須坂藩に仕え、多額の借用金を引き受けるなど、藩の財政を支えてきました。その功績から、3代目、5代目は土分(武士身分)に取り立てられました。最盛期には、須坂藩の財力をも上回ったとも伝えられ、北信濃屈指の豪商として知られています。
豪商の刀剣
田中本家は商人でありながら、須坂藩への度重なる功績から武士の身分を与えられ、苗字帯刀を許されていました。そのため、刀、脇差、短力、鞘などが伝えられてきました。
こちらでは、豪商田中本家に伝わる刀剣類を順次入れ替え公開しています。
書画
室内に立てて飾る屏風や床の間にかけて飾る掛軸は、日本独特の芸術様式です。
田中本家には、訪れるお客様を楽しませるために、集められた書や絵画が数多く残されています。
今回は、人物画を集めてみました。
中国の故事を題材にした画題や歴史上の人物の伝説を描いたものなど、人物にまつわる物語とあわせてお楽しみください。
芝居人形
雛人形と一緒に飾られた芝居の一場面を表した人形を田中本家では「芝居人形」と呼んでいました。
当時の大人たちは、芝居の内容をよく知っていたため、人形を見ながらその物語を子ども達に話したことでしょう。
雛祭りは、子ども達に日本の歴史や文化を背景にした物語を教える機会になったといいます。
江戸時代の雛まつり料理再現
このお料理は、江戸時代の接待帳『諸客賄方控帳』より「嘉永二年(1849)田中家五代新十郎主水の初孫 初節句の雛まつり料理」の記述をもとに再現したものです。
当館では、春(3・4月)と秋(10・11月)に「江戸時代料理再現食事会」を開催しています。江戸時代の接待帳をもとに再現した様々な料理を、本物の江戸時代の器に盛り付け、お食事を楽しんでいただく催しです。
豪商 田中本家の雛まつり
大正時代(1912-1926)編 御殿雛と芝居人形
田中本家の大正時代の雛飾りを展示しています。
雛祭りは、3月3日に行われる日本で古くからおこなわれている行事です。
女の子の健やかな成長と幸せを願うお祭りで、家庭に女の子が生まれると祖父母や周辺の人が「雛人形」を贈ります。その雛人形を、3月3日の雛祭りに合わせて飾り、お祝いをする風習があります。
内裏雛、三人官女、五人囃子など、現代でも馴染みある雛壇飾りとともに、今ではほとんど見られない雛飾りもあります。「芝居人形」と呼ばれた芝居の一場面を表した人形、歴史的な人物の人形も雛壇に一緒に飾られました。
女の子の健やかな成長と幸せを願う行事である雛祭り。雛飾りには先人たちが子ども達に伝えてきたメッセージが込められています。
時代は変わっても変らない、想いや願いを感じて頂けると幸いです。
約100年前の子どもたちの着物
こちらでは、田中本家に残された約100年前(大正~昭和時代)の男の子と女の子の着物を展示しています。
よそゆき着、おしゃれ着、普段着などとして着用されたものですが、大変良い状態で保存されてきました。
着物に表現された季節感や、可愛らしい色や模様の多彩さをご覧ください。
浮世絵の制作工程
浮世絵の制作工程について、喜多川歌麿「江戸名物錦画耕作」をもとに紹介します。この作品は、浮世絵の制作風景を女性に置きかえた浮世絵です。
1.デザイン・内容を決める(版元・絵師)
版と絵師が絵を見ながら相談しています。
版元は出版プロデューサーにあたり、浮世絵の企画内容、各工程のチェック、職人たちの手配など、浮世絵の全て取り仕切る責任者です。絵師はデザイナーです。版元と相談し、浮世絵の下絵を描きます。
2.版木を彫る(彫師)
絵が決まると次は版木を彫ります。
下絵をもとに小刀で絵柄を彫り、絵柄以外の部分をノミで削り取ります。浮世絵では、1色につき1版、版木を作ります。
3.礬水引き(どうさびき)
浮世絵を刷る紙に刷毛で礬水(どうさ)を塗り、乾かしています。水とは、ニカワとミョウバンを混ぜた水溶液です。紙の耐水性を高め、絵具がにじむのを防ぐための作業です。
4.浮世絵を刷る(摺師)
墨や絵具を刷毛で版木に広げ、摺師が馬連(ばれん)で紙に摺り
上げます。多色刷りの場合は、何色もの版木を色がずれることなく摺り上げていきます。
色鮮やかな浮世絵の完成です。
錦絵三枚続き
錦絵三枚続きとは、浮世絵を3枚組み合わせ、ひとつの作品にしたものです。
浮世絵は、1枚にひとつの画題を描くのが普通で前後国芳以前にも三枚続きの浮世絵はありましたが、1枚だけ抜きだしても作品として鑑賞できるように描かれていました。これに対して国芳は、3枚揃えないと絵が完成しない作品を作ります。
その迫力。インパクトは人々を驚かせたことでしょう。
錦絵三枚続きの制作時期は、1850年前後の一時期に集中しており、円熟期に入った国芳が、それまでの常識にとらわれない新しい様式を打ち出そうとしていたことがうかがえます。